最近立ち読みした自己啓発本の中に、深い観察力を鍛えることを推奨するものがあった。普段何気なく目にしている事物でも、立ち止まってまじまじと見直してみることで新しい発見があり、脳を刺激するとのことだ。ある科学者は、生徒に一匹の金魚を3日間観察させて気付いたことを残らずメモさせていたという。初めは不承不承だった生徒も、3日目には発見の数に魅了され、大いに知的な思考力が鍛えられるそうだ。
陰翳礼賛の中では、日本人の伝統的な建築、服装や食べ物に至るまで、「陰翳」の文化というべき特徴を指摘していた。例えば、教会と京都の寺を比べてみても分かるが、前者は鮮やかなステンドグラスによってできるだけ陽光を中に取り入れようとする反面、後者は屋根を広く外側に突き出し、室内に陽光が入るのはなるべく防ぐ造りになっている。他の日本家屋の作りもこれに似た特徴があるはいうまでもない。
昔の日本人が意図してこのような建築を行っていたのかは分からないが、その建物の中に生まれる「陰翳」に美しさを感じ、その「陰翳」と共に在ろうと、服装や作法までをそれに合う形で工夫してきたのは事実である。日本文化は「陰翳」の文化であるといっても過言ではない。
私もそのような日本家屋が非常に好きだ。祖父母の家などは玄関から入るとすぐ薄暗い廊下があり、その先に床の間があるのだが、夏の夕方、それも少し雨が降りそうな時分に訪ねると、えも言われぬ静けさと暗がりの中で、やや不気味に奥へと続く廊下を玄関口から見るのが心地良い。そして床の間に入った後も、電灯をつけずに、薄暗がりの中に広がる畳の部屋を見る度に非常に安心する。
こうした日本人ならではの価値観や感じ方を改めて見直し、それは何故なのかと自答し、立ち止まって観察することで得られる刺激は我々の精神生活を豊かにする。あくせくと仕事に追われて働く日々も充実しているだろうが、たまの休日などには実家に帰り、落ち着いた日本家屋の中で、当たり前にある物事についてゆっくりと思いを巡らすことも大切なのではないか。
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