もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
チョコとコーヒーとはあんまり関係ない日記です。
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今日は学校で2回目の授業でした。相変わらずKamenanが遅刻し、授業が始まったのは7時半過ぎです。今日はAnjoliが先に導入部分を話し、私が解決方法を話したのですが、彼女と私の講義の質の差にしばらくかなり落ち込みました。やっぱり彼女の講義はすごく啓発的です。生徒も、先生が彼女から私に代わって少し不満足そうな様子でした。ネイティブには勝てないのは当たり前ですが、私自身ももっと授業準備をするなどして、少しでも彼女に近づく努力をしなければいけません。また、私にあって彼女に無いものは日本の文化、歴史の知識です。来週はそれぞれの国が経験した紛争についての講義なので、是非とも生徒に満足してもらえるような講義をしたいと思います。
私がここに来たときは、周りが英語を話せないので、自分は英語ができるんだと勝手な勘違いをしていました。実は全然そんなことはないんですね。私の英語はまだまだ日常会話レベルを脱し切れていないですし、中高生相手の授業でさえ満足にできません。今週はその間違いに気付けて良かったと思います。
今日はそのプログラムの初日でした。講義開始時間は一時間目の朝7時。めちゃめちゃ早いです。日本では考えられません(-_-;)5時半頃に起床して待ち合わせの場所に向かったのですが、まぁ案の定Kamenanはやってきません。昨日打ち合わせしたはずのAIESECerもやってきません。しばし待つこと20分、Kamenanはやって来ましたが、もう一人は病気で来れないそうです。人がよく病気になる国ですね、ここは。
結局、30分ほど遅れて授業は始まりました。簡単な自己紹介の後、ゲームなども少し交えながら、初日の授業はまずまずでした。今週の内容は、「conflictとは何か?」、「conflictの原因は?」「conflictの悪い面と良い面」、「解決方法」です。Anjolieと交代で授業をしたのですが、彼女はさすがネイティブです。彼女の話す内容と私が話す内容は、高校の講義と小学生の講義ほどの差があります。彼女の話は非常に示唆に富み、例示なども豊富で非常に分かりやすいのに対し、私の話は要点に簡単な解説を付けて話すだけです。自分の英語力のつたなさを改めて実感しました。もっと授業準備を行い、予行練習をするくらいでないと駄目ですね。
授業後はKamenanの大学に行きました。この大学の規模は非常に大きく、所謂国立の総合大学です。日本人の留学生もいるそうなのですが、残念ながら会うことはできませんでしたが、この大学のAIESECerに会って色々な話を聞きました。彼女の話によると、今この学校は教職員がストライキをしており、2週間も授業が行われていないらしいです。国立の学校の質が悪いという話は聞いていたのですが、どうやら本当のようです。ちなみに、ストライキの原因は給料の値上げ交渉らしく、非常によく起こるそうです。
21日。朝からネットカフェに行きました。このお店は前の記事で書いたように、host familyが共同で経営しているものなので、いくら使ってもお金がかからないところがいいですね。コートジボワールではまだインターネットが普及していないため、人々はネットカフェに行ってインターネットを使用します。
22日。担当のAIESECerが病気だということで、代わりの人を2時間ほど待った挙句、書類が不十分だということで追い返されました。正直萎えます。さらには、明日からの学校授業は一人で行うとKamenanから聞いていたのですが、実際にはパートナーがおり、彼との打ち合わせを行いました。どうにも情報伝達が不十分というか、professional意識に欠けるというか、非常に仕事が適当な印象を受けます。何事においてもこちらから何度も確認を取らなければいけないと再認識しました。
Host FamilyのYvesが病気になったそうです。彼の話ではマラリアだとの話ですが、大声で笑いながらテレビを見ている姿を見ると到底そうは思えません。私のときはそんな元気はありませんでした。こちらの人は何でもマラリアのせいにしてしまうようです。では私の病気は本当は何だったのか・・・?
私が見たところ、彼らは返事だけは良いです。自ら進んで様々なことをやってあげるよと言ってくれるのですが、何事に付けても彼らはprofessional意識に欠けます。仕事が非常に適当です。それでいて、それら仕事の不備の原因が自分自身にあることを認めず、その非を他(例えば、病気や他人)に転嫁するのです。そして、それ自体が問題であるということを認識していません。おそらく周りがそうなので何とも思わないのでしょう。
私は国民性という言葉で一つの国に住む全ての人々をまとめてしまうのは不適切だと考えます。ただ、いままで見てきた人々の中で、そのような傾向が非常に強くあるという感は否めないと思います。「ここはアフリカだから・・・」という言葉をよく耳にしますが、その傾向の原因は自分達の国が発展途上国だというある種の諦観にあるのかもしれません。