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『審判』

2009.05.25 - 外国文学
審判 (角川文庫クラシックス)
審判 (角川文庫クラシックス) 本野 亨一

角川書店 1953-03
売り上げランキング : 132239

おすすめ平均 star
starスタティックな悪夢
star人間の尊厳と自由の大切さを描いた秀作
starDer Prozess/The Trial

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詳細を語らないがゆえの奥深さがある。劇中に起こる全ての事柄を逐一説明することが当たり前なのではなく、多くを語らないがゆえに想像の余地が生まれ、多様な解釈を可能にする。
 
私の最初の感想は、カフカは世の中の理不尽さについて書いたのではないか、ということだ。理不尽な事柄は世の中に溢れているし、人はそれを甘んじて受け入れざるを得ない。実際、Kは最後まで理由を告げられることなく処刑されてしまうのだ。それは「屈辱」であるが、Kにはどうすることもできない。全ての事象には理由がある。しかし、カフカはKが逮捕された理由について最後まで文中で明かすことをしなかった。理由を徹底的に排除すること、それはすなわち理不尽さにつながり、何より人は説明のつかないものに得も言われぬ恐怖を感じるものである。そうした理由の排除が物語を不気味でとらえどころのないものにしているのではないだろうか。
 
このような第一印象を『審判』に対して抱いたが、カフカが同作品を執筆した当時、彼は恋人フェリーツェ・バウアーとの一回目の婚約を解消している。さらに、婚約解消の交渉では両者の友人を交えてホテルの一室で会談が行なわれ、カフカは日記でこの会談の様子を「法廷」と表現していた(Wikipedia参照)。では、この恋人との関係が同作品に反映されていると考えるとどのような解釈ができるのだろう。(ちなみに、カフカの作品では主人公がカフカ自身であることが自明である。)
 
カフカは全ての「文学でないもの」を仇敵とみなしていた。フェリーツェとの一回目の婚約破棄も結婚生活が執筆活動の妨げになるという理由からであった。ここで、彼女との関係をKの置かれた状況に例えてみると、逮捕は婚約であり、法廷は婚約を社会的に議論する場だと考えられる。つまり、フェリーツェとの自由な関係は、婚約という社会的な約束事を結んだことによって社会的・拘束的なものへと変化した。カフカはそのような束縛は執筆活動の邪魔だと考えて嫌う。彼の中では婚約破棄は当然の「無罪」なのであるが、社会的には愛する人と結婚するのは道徳的に当然のことであり、それを拒否する理由が執筆活動などとは到底受け入れられるものではない。彼の法廷における弁明も、彼の友人(作中の法廷ホール右半分の人々)は一応受け入れる素振りを見せるが、本心では全員の答えは一致しており、Kの弁明など当初から意味を成さないのだ。
 
カフカは結婚や家庭を持つことを嫌悪していたそうだが、同時にそれらを拒否するがゆえにそれらを渇望するという自己撞着に陥っていた。カフカは執筆活動を中心としたい。しかし、結婚すればかならず彼の自由は崩壊する。なぜなら、例え妻が彼の執筆活動についてある程度の理解を示したとしても、世間が、そして何より彼自身がもつ常識が彼を結婚における責任に束縛するからだ。だから結婚はしたくない。そうはいっても、結婚せず、子供を残さない人生というものの空虚さというものを十分実感しているため、やはり結婚を望まざるを得ないのである。
 
主人公を自分自身に見立てるということは、物語が自己に関する観察を表したものになるということである。自分を赤裸々に告白するような小説を誰が出版したいと望むだろうか。カフカが自らの小説を出版したくないとしたのは、それらが自分自身の内面を生々しく表現したものだったからであろう。
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『夜と霧』

2009.05.20 - 外国文学
夜と霧 新版
夜と霧 新版 池田 香代子

みすず書房 2002-11-06
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おすすめ平均 star
star善悪の基準としての書物
star生きる、生かされている意味を考える
star震撼させられました。強く、心を揺さぶられました。

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「夜と霧」とは、もともとはヒトラーによって出された命令の名称である。その目的は、ユダヤ人を始めとして、ナチスに反対するあらゆる人間を密かに夜間逮捕し強制収容所に送り込むことであった。一夜で一家族がまるで霧のように消え失せてしまったことから、このような名前がつけられたのである。

 

 

強制収用所での殺戮や虐待がいかに悲惨であったかを書いた本や映画は山ほどあるが、そのような残虐な描写はこの本にはほとんど出てこない。著者が冒頭で述べているように、大規模な殺戮の中にあった小さな、しかし確実に収容者の精神を蝕んだ苦しみを描き、同時にそれらの苦しみが収容者に(自分を含め)どのような影響を与えていったのかを心理学的に考察している。

 

彼は、被収容者が過酷な状況を耐えて生き残るためには、自分が「なぜ」存在するかを知っていることが必要だという。存在の理由というのは仕事や愛する人間に対する責任などであり、それらが一人ひとりの人間を唯一のものとして特徴づけ、存在というものに一回性の意味を与える。つまり、人が生きていくには、生きることから受動的に何かを得ようとするのではなく、生きることの問いに対して積極的に答えていく必要があるのだ。当たり前のようであるが、アウシュビッツのような極限状況においても、生きる意味を持つ人間は生き残っていく。ましてや看守の気まぐれで殺されることのない現代においてなら、なおさらである。

 

「余命一ヶ月の花嫁」が最近の話題になっているが、彼女も生きる意味を見出した一人なのではないか。自分の死を感じ、その残酷な運命を呪うこともできただろう。しかし、彼女は自分の闘病生活をドキュメントとして残し、後世の同じような闘病者の支えとなる道を選んだ。その決意が彼女の生を意味深いものにしたはずである。

 

人間は選択することができる。生きる意味を問わずに日々を送り、毎日を「こなして」いくこともできる。ただ、その生に意味はあるのか。生きているといえるのだろうか。

 

 

強制収用所に関する本は他に『アンネの日記』がお勧めである。私も高校生の頃に読んだきりなので、また読み直したい。

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『車輪の下』

2009.05.17 - 外国文学
車輪の下 (新潮文庫)
車輪の下 (新潮文庫) 高橋 健二

新潮社 1951-11
売り上げランキング : 30036

おすすめ平均 star
star成功は失敗のもと
star翻訳が古すぎる。
star表紙の絵が好きです

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それがヘッセの本に限ったものではないのかもしれないが、一昔前までの文学には、病弱な主人公と彼が憧れる少年との友情関係を通じた自己の存在への問いという構図が多く見て取れるような気がする。三島由紀夫の『仮面の告白』でも同様の人間関係が展開されており、そうした他者からの影響を受けた結果の自己成長についての考察が、一種の定型として確立されていたのかもしれない。文学者の方の意見を聞いてみたい。

 

主人公のハンスは州試験を受験して神学校に入る、いわばエリートである。幼少から勉学ができたため、周りから担ぎ上げられて闇雲に(ハンス自身は勉学を楽しんでもいたので、あながち闇雲ではないかもしれないが・・・)勉強し、念願の神学校に入学するも、次第に神経衰弱に陥り、ついには退学してしまう。その後の彼の人生は言うまでもないが、何とも私自身の経験に重なるところのある話である。幼少から勉学ばかりに励み、「最も感じやすい、最も危険な子供時代」に、夜遅くまで勉強をしていたハンス。その反動は彼の身を焼いた。彼が神経衰弱に陥ってからも、周りの大人達はただただ憤慨するばかりで、誰も「彼」自身を理解しようとしない。

 

私自身、彼ほど勉強に励んでいたわけではないが、中学受験を親から進められ、そのために塾に通って勉学に励む毎日だった。その結果、念願()の学校に入ることはできたが、その反動は中学時代に訪れ、何度も退学になりかけたことがある。思えば、私の場合はまだ仲間や先生方に恵まれたため、そのような時代を乗り切ることができたが、そうではない人もたくさんいると思う。そのような人達はどうなってしまうのか。ハンスのように車輪の下に押しつぶされる運命を歩むのではないか。

 

「どうもわからん」「あの子はあんなによくできていたし、何もかも、学校も、試験もうまくいったのに」と、ある人は言う。

 

「あんたもわたしも、あの子にはいろいろなすべきことを怠っていたんだ。そうは思いませんかね」と、ある人は言う。

 

困難を乗り越えることのできるたくましい子供もいるかもしれないが、そうではない子供だっているのだ。一辺倒に教育を押し付けるような育て方ではなく、個人の資質に合わせた教育が必要だと思う。しかし、学歴主義が未だ根強い日本においては、それも難しいのが現状だ。やはりそうした個を生かす教育というのは、先生方の個別の気遣いによるところが大きいのだろう。本当に大変な仕事だ。
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 プロフィール 
HN:
yd0g
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1987/02/03
職業:
学生
趣味:
音楽
自己紹介:
世界の平和を目指す一地球人。言うまでもなく甘党です。好物は明治のミルクチョコレート。"simple is the best."ですね。

もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
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