もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
チョコとコーヒーとはあんまり関係ない日記です。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
審判 (角川文庫クラシックス) | |
本野 亨一 角川書店 1953-03 売り上げランキング : 132239 おすすめ平均 スタティックな悪夢 人間の尊厳と自由の大切さを描いた秀作 Der Prozess/The Trial Amazonで詳しく見る by G-Tools |
夜と霧 新版 | |
池田 香代子 みすず書房 2002-11-06 売り上げランキング : 434 おすすめ平均 善悪の基準としての書物 生きる、生かされている意味を考える 震撼させられました。強く、心を揺さぶられました。 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「夜と霧」とは、もともとはヒトラーによって出された命令の名称である。その目的は、ユダヤ人を始めとして、ナチスに反対するあらゆる人間を密かに夜間逮捕し強制収容所に送り込むことであった。一夜で一家族がまるで霧のように消え失せてしまったことから、このような名前がつけられたのである。
強制収用所での殺戮や虐待がいかに悲惨であったかを書いた本や映画は山ほどあるが、そのような残虐な描写はこの本にはほとんど出てこない。著者が冒頭で述べているように、大規模な殺戮の中にあった小さな、しかし確実に収容者の精神を蝕んだ苦しみを描き、同時にそれらの苦しみが収容者に(自分を含め)どのような影響を与えていったのかを心理学的に考察している。
彼は、被収容者が過酷な状況を耐えて生き残るためには、自分が「なぜ」存在するかを知っていることが必要だという。存在の理由というのは仕事や愛する人間に対する責任などであり、それらが一人ひとりの人間を唯一のものとして特徴づけ、存在というものに一回性の意味を与える。つまり、人が生きていくには、生きることから受動的に何かを得ようとするのではなく、生きることの問いに対して積極的に答えていく必要があるのだ。当たり前のようであるが、アウシュビッツのような極限状況においても、生きる意味を持つ人間は生き残っていく。ましてや看守の気まぐれで殺されることのない現代においてなら、なおさらである。
「余命一ヶ月の花嫁」が最近の話題になっているが、彼女も生きる意味を見出した一人なのではないか。自分の死を感じ、その残酷な運命を呪うこともできただろう。しかし、彼女は自分の闘病生活をドキュメントとして残し、後世の同じような闘病者の支えとなる道を選んだ。その決意が彼女の生を意味深いものにしたはずである。
人間は選択することができる。生きる意味を問わずに日々を送り、毎日を「こなして」いくこともできる。ただ、その生に意味はあるのか。生きているといえるのだろうか。
強制収用所に関する本は他に『アンネの日記』がお勧めである。私も高校生の頃に読んだきりなので、また読み直したい。
車輪の下 (新潮文庫) | |
高橋 健二 新潮社 1951-11 売り上げランキング : 30036 おすすめ平均 成功は失敗のもと 翻訳が古すぎる。 表紙の絵が好きです Amazonで詳しく見る by G-Tools |
それがヘッセの本に限ったものではないのかもしれないが、一昔前までの文学には、病弱な主人公と彼が憧れる少年との友情関係を通じた自己の存在への問いという構図が多く見て取れるような気がする。三島由紀夫の『仮面の告白』でも同様の人間関係が展開されており、そうした他者からの影響を受けた結果の自己成長についての考察が、一種の定型として確立されていたのかもしれない。文学者の方の意見を聞いてみたい。
主人公のハンスは州試験を受験して神学校に入る、いわばエリートである。幼少から勉学ができたため、周りから担ぎ上げられて闇雲に(ハンス自身は勉学を楽しんでもいたので、あながち闇雲ではないかもしれないが・・・)勉強し、念願の神学校に入学するも、次第に神経衰弱に陥り、ついには退学してしまう。その後の彼の人生は言うまでもないが、何とも私自身の経験に重なるところのある話である。幼少から勉学ばかりに励み、「最も感じやすい、最も危険な子供時代」に、夜遅くまで勉強をしていたハンス。その反動は彼の身を焼いた。彼が神経衰弱に陥ってからも、周りの大人達はただただ憤慨するばかりで、誰も「彼」自身を理解しようとしない。
私自身、彼ほど勉強に励んでいたわけではないが、中学受験を親から進められ、そのために塾に通って勉学に励む毎日だった。その結果、念願(?)の学校に入ることはできたが、その反動は中学時代に訪れ、何度も退学になりかけたことがある。思えば、私の場合はまだ仲間や先生方に恵まれたため、そのような時代を乗り切ることができたが、そうではない人もたくさんいると思う。そのような人達はどうなってしまうのか。ハンスのように車輪の下に押しつぶされる運命を歩むのではないか。
「どうもわからん」「あの子はあんなによくできていたし、何もかも、学校も、試験もうまくいったのに」と、ある人は言う。
「あんたもわたしも、あの子にはいろいろなすべきことを怠っていたんだ。そうは思いませんかね」と、ある人は言う。