もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
チョコとコーヒーとはあんまり関係ない日記です。
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夜と霧 新版 | |
池田 香代子 みすず書房 2002-11-06 売り上げランキング : 434 おすすめ平均 善悪の基準としての書物 生きる、生かされている意味を考える 震撼させられました。強く、心を揺さぶられました。 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「夜と霧」とは、もともとはヒトラーによって出された命令の名称である。その目的は、ユダヤ人を始めとして、ナチスに反対するあらゆる人間を密かに夜間逮捕し強制収容所に送り込むことであった。一夜で一家族がまるで霧のように消え失せてしまったことから、このような名前がつけられたのである。
強制収用所での殺戮や虐待がいかに悲惨であったかを書いた本や映画は山ほどあるが、そのような残虐な描写はこの本にはほとんど出てこない。著者が冒頭で述べているように、大規模な殺戮の中にあった小さな、しかし確実に収容者の精神を蝕んだ苦しみを描き、同時にそれらの苦しみが収容者に(自分を含め)どのような影響を与えていったのかを心理学的に考察している。
彼は、被収容者が過酷な状況を耐えて生き残るためには、自分が「なぜ」存在するかを知っていることが必要だという。存在の理由というのは仕事や愛する人間に対する責任などであり、それらが一人ひとりの人間を唯一のものとして特徴づけ、存在というものに一回性の意味を与える。つまり、人が生きていくには、生きることから受動的に何かを得ようとするのではなく、生きることの問いに対して積極的に答えていく必要があるのだ。当たり前のようであるが、アウシュビッツのような極限状況においても、生きる意味を持つ人間は生き残っていく。ましてや看守の気まぐれで殺されることのない現代においてなら、なおさらである。
「余命一ヶ月の花嫁」が最近の話題になっているが、彼女も生きる意味を見出した一人なのではないか。自分の死を感じ、その残酷な運命を呪うこともできただろう。しかし、彼女は自分の闘病生活をドキュメントとして残し、後世の同じような闘病者の支えとなる道を選んだ。その決意が彼女の生を意味深いものにしたはずである。
人間は選択することができる。生きる意味を問わずに日々を送り、毎日を「こなして」いくこともできる。ただ、その生に意味はあるのか。生きているといえるのだろうか。
強制収用所に関する本は他に『アンネの日記』がお勧めである。私も高校生の頃に読んだきりなので、また読み直したい。