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2026.04.10 - 
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持ち物リスト

私はホストの家での長期滞在となるので、バックパックひとつで旅をする方々と状況は少し違うかもしれません。ですが応用は利くので、次のサイトを参考にしながら、私が自分なりに必要だと考えたもの、また特に大事だと考えたものを補足してみたいと思います。

まずはサイトの紹介をします。一人旅の本を数多く出している西本健一郎さんが、海外旅行での必需品をまとめてくれている「旅の持ち物リスト」がもっともよいでしょう。非常に詳しく持ち物リストが書かれていてわかりやすいです。私のようなホームステイの旅行者に向けてと言うより、バックパッカー向けのサイトです。

このサイトを参考にしながら、私なりの持ち物補足をしたいと思います。
①パスポートのコピー
もしパスポートをなくしてしまった際、コピーをとっておくと再発行するのに時間がかからずにすみます。パスポートは身分証明のために携帯しなければなりませんが、
コピーは常に滞在先においておくようにしましょう

②お金
現金とT/Cに分けて持って行きます。これさえあれば何でもできる・・・・は言いすぎですが、もっとも重要ともいえるものですよね。コートジボワールの現地通貨はCFAフラン。ブログ「今日のコートジボワール」を参照すると円での現地交換率は非常に悪いそうなので、あらかじめ関西空港で円をユーロとTraveler's checkに交換しようと思います。
現金はなるべく細かいものを多く持っておいたほうが良いでしょう。途上国では100ドル札などの単位の大きな紙幣は使えないことが多いです。

③コンセント変換プラグ
パソコンやカメラを充電する際に必要です。長期滞在時には重要なものとなります。変圧器はパソコン自体についていますから必要ないと思いますが、どの程度の電圧まで変圧できるのかチェックしておくことは必要です。

④日本の文化品
ホストへのプレゼントに。海外では、富士山の絵などあからさまに日本を示すベタなものが喜ばれます。日本酒も良いですし、醤油等の調味料を持っていって料理を作ってあげるのも良いと思います。お世話になる際の最低限の礼儀です。
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予防接種

私が行く国はコートジボワールなので、黄熱病の予防接種が必須になってきます。

他にも追加でさまざまな予防接種を受けることをお勧めします。やっぱり病気は怖いですもんね。
感染症については、以下のサイトを参照してみてください。

FORTH(For Traveler's Health) 厚生労働省検疫所

さまざまな役立ち情報も紹介していますので、このサイトだけでも十分です。
海外の医療機関で使用する会話集などもあります。

あとは、お近くの検疫所に連絡してみることをお勧めします。どの予防接種を受けるかについて気軽に相談に乗ってくれます。


私が黄熱病以外で受けたのは、破傷風、狂犬病、日本脳炎、A型肝炎です。これらを受ける順番も、病院に行けばスケジュールを立ててくれるので安心です。私は子供のころに破傷風と日本脳炎の予防接種は受けていたので、追加接種は一度ですみました。狂犬病とA型肝炎は二回受けましたが。
注意してほしいのは、黄熱病を先に受けると他の予防接種は一ヶ月受けれなくなってしまうことです。なので、やはり専門機関でスケジュールを立ててもらうことが重要です。

一回の予防接種の値段は、6千円から8千円と高いです。保険が利かないのでこの値段になっています。これはかなり財布にききました( ̄▽ ̄;)でも背に腹は変えられません。ちゃんと予防接種は受けましょう。

ちなみに、私が利用したのは大阪空港のメディカルセンターです。他で受けてないので比較はできませんが、全然待ち時間もなく、すぐに受けてすぐに帰ることができました。他ではどうなんでしょう??
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AIESEC(アイセック)

AIESECに申し込んだのは、大学に編入してきた友人の薦めがきっかけでした。彼にはかなり影響をうけましたね。実際、次の目標の外務省専門職は彼が私に開いてくれた道だと思っています。

AIESECというのは、全世界に支部を持つインターン支援の学生団体のことです。それぞれの国において、AIESECが契約?しているNGOや企業などの団体へと、インターンを派遣することのできるシステムを持っています。

AIESECに対するこれまでの感想としては、非常に手厚い補助によって、自分の研修を最大限行かせるサポートを行ってくれているということがいえます。最低でも2週に1回のコンサルティングを通じて、自分が研修先において達成したいことなどを突き詰めて考える助けになってくれたり、現地で生活するうえでのアドバイスなどをくれたりします。そのおかげで、自分なりに今回の研修での目標もしっかりと見定めることができたと思います。

また、ホームステイなので現地での食・住は一応のところ保証されており、必要な費用は渡航費と、現地で使う小遣い程度です。長期滞在の場合に住居が保証されているのはやはり嬉しいですね。

あとは現地での状況がどのようなものかによりますね。期待してます。
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人生の意義-5

2008.03.24 - 思想

意志とその方向性

 「私 は『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ近道した時、真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せて いく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあればいつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな違うかい?」

 

これはジョジョの奇妙な冒険第五部におきまして、登場人物の一人であるアバッキオが死んだ後、天国で会った元同僚の警官がアバッキオに対して言った台詞です。

アバッキオがカフェの椅子に座っていると、一人の警官が道端の瓶のかけらを選別しています。そこでアバッキオは彼に対して何をしているのか尋ねた ところ、彼は、「昨夜強盗があって犯人が人を瓶で殴って逃げた。だからその証拠の瓶を集めているのだ。それに指紋が付いているかもしれない。」と説明します。アバッキオは言います。「もし瓶に指紋が付いてなかったら?もし指紋を見付けても犯人が弁護士を雇って無罪になったら?」

そこで警官は先の言葉を言います。この言葉は非常に深いものだと私は考えます。単純に結果よりもその過程が大事だということを言っているのではありません。結果に向かおうとする意志が、人をその結果に近づけるということを行っているのです。たとえ結果が無駄で遠く離れているように思えても、「向かおうとする意志」があればいつかはたどり着きます。なぜならその意志の下、「向かっている」のですから。無駄なように見えても少しずつ近付いているのですから、決してその行為は無駄ではありません。過程の大切さ、意志の大切さ、そしてこの世の中に無駄なものはないということをこの言葉は言っているのです。
 また、宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ」の最後の行にこうあります。

 
「ソウイウモノニ私ハナリタイ」

 

私は、この言葉がこの詩の中で一番美しい部分だと思います。今までの言葉は全て自分の理想であって、でもやはりその理想に近付きたい。謙虚に、でも力強く彼はそう願っています。理想に近付こうとする意志、それがやはり大切なのだと思うのです。
 何か大きなことをしようとする時に、これらの言葉は非常に支えになります。私の目標は先ほども述べましたが、世界を少しでも良くすることであります。どうやってと聞かれても答えることはできません。私にはお金もないですし、権力もありません。どう考えたって私一人の力では無理なように見える目標です。しかしながら、それを達成しようとする意志さえあれば、そして私が心からその意志の下に行動するのであれば、少しでも私はその目標に近づけるのではないでしょうか。少しでも貢献できるのではないでしょうか。そして、たとえ私が行うその行為が一見なんでもないように見えたとしても、それは確実にその目標への一歩になっているはずなのです。わたしはそう信じています。

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人生の意義-4

2008.03.24 - 思想

善と悪

 善と悪と言うテーマは、これまで様々な哲学書でも論じられてきたことと思います。しかしながら、私は哲学に造詣が深くはありませんし、この文章も自分自身が思ったままを書き綴っている次第ですので、それら先人の考え方は敢えて無視することにします。では、何が善であり、何が悪であるのか。答えは、正直分かりません。その人それぞれである、に尽きると思います。答えになっていない、と申される方もいるでしょう。お言葉ですが、人間は多様なのです。そして、その人間が営む生活も複雑怪奇であります。そのような状況の中で、演繹的に万人に共通した普遍の善悪の概念を見つけること自体がナンセンスであると私は考えます。ただ、その逆、つまり経験的に善を見つけ出すことはできるのではないでしょうか。普遍的ではないでしょうが、恐らく大抵の人が同意してくれるだろう行為を見つけ出すことができると私は考えます。その行為が、「誰かのために」に依拠した行為です。

 この「誰かのために」という言葉の裏にはもう一つの隠された意味があります。つまり、この言葉をもう少し言い換えれば、「誰かの利益、喜びのために」となります。ここで、その利益、喜びを定義するのは誰でしょう。それは行為を行う自分自身です。「誰かのために」という行為はつまり、自分自身が嬉しいと感じることを他人にするということです。このように考えることで、人それぞれが持つ多様性の問題がほとんど解決されることが分かると思います。自分がされて嬉しい行為が善であるのです。また、その逆、つまり自分がされて嫌な行為が悪であるのです。それらの嬉しい、嫌を定義づけするのはその人自身です。例えば、普通、人は誰でも他人から傷つけられたくないと思っています。他人を傷つけるという行為は、間違いなく自分がされると嫌だと感じる好意です。私はここで、様々な例外、緊急避難や誰かのために他者を傷つける行為について議論するつもりはありません。前にも述べましたが、普遍的な価値観の形成は、我々の置かれた状況の複雑さから言いまして、不可能なのです。ただ、人を傷つける行為を、自分が傷つけられたくないという理由から、大抵の人が嫌だとみなすことは恐らく事実でしょう。したがって、それを行うことは悪である、と私は考えます。このように考えると、「誰かのために」行う行為というのは、自分自身が持つ価値判断に照らし合わせてみて善である行為だといえますので、必然とそれ自体が善であるといえるのです。

 では、そのような我々の価値判断の根底にあるものはなんなのでしょうか。それは、他者への共感であります。何かを他人に対して行うとき、行為者は瞬時に相手に共感し、自分自身を相手に投影するのです。これは一見すると、誰にでもある能力のように思えるかもしれません。しかしながら、現にこの世の中にはそのような共感能力を全く持たないという人も存在するのです。その原因として、脳においてそのような能力をつかさどる部位が先天的に欠損しているなど、さまざまな原因が考えられますが、もっとも憂慮すべきこととして、母親から幼少期に愛情を受けて育っていない人間は、そのような能力が著しく欠如するという研究結果がでています。愛情を受けていない人間は愛情を他者に感じることができません。なんと悲しいことでしょう。ですから、今から子供を授かることになる皆さん、深い愛情を持ってその子を育ててあげてください。それがその子が生まれて初めて持つことのできる最初の幸せであり、それを得ることができないと、その子は愛を知らないままの寂しい人生を送ってしまうことになるのですから。

 したがって、私はこのような「誰かのために」という気持ちを持ちながら、自分の人生を送りたいと考える次第であります。そして、最終的にはみんなが幸せに暮らすことのできる世界を作りたいと思っています。それは私の夢でもあり、目標でもあります。しかし、このようなことを聞いて、「できるはずがない。」と笑われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、私はそうは思いません。次はそのことについて書いてみようと思います。

 

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 プロフィール 
HN:
yd0g
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1987/02/03
職業:
学生
趣味:
音楽
自己紹介:
世界の平和を目指す一地球人。言うまでもなく甘党です。好物は明治のミルクチョコレート。"simple is the best."ですね。

もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
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