もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
チョコとコーヒーとはあんまり関係ない日記です。
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意志とその方向性
「私 は『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時、真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せて いく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする“意志さえあれば”いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな… 違うかい?」
これはジョジョの奇妙な冒険第五部におきまして、登場人物の一人であるアバッキオが死んだ後、天国で会った元同僚の警官がアバッキオに対して言った台詞です。
アバッキオがカフェの椅子に座っていると、一人の警官が道端の瓶のかけらを選別しています。そこでアバッキオは彼に対して何をしているのか尋ねた ところ、彼は、「昨夜強盗があって犯人が人を瓶で殴って逃げた。だからその証拠の瓶を集めているのだ。それに指紋が付いているかもしれない。」と説明します。アバッキオは言います。「もし瓶に指紋が付いてなかったら?もし指紋を見付けても犯人が弁護士を雇って無罪になったら?」
そこで警官は先の言葉を言います。この言葉は非常に深いものだと私は考えます。単純に結果よりもその過程が大事だということを言っているのではありません。結果に向かおうとする意志が、人をその結果に近づけるということを行っているのです。たとえ結果が無駄で遠く離れているように思えても、「向かおうとする意志」があればいつかはたどり着きます。なぜならその意志の下、「向かっている」のですから。無駄なように見えても少しずつ近付いているのですから、決してその行為は無駄ではありません。過程の大切さ、意志の大切さ、そしてこの世の中に無駄なものはないということをこの言葉は言っているのです。
また、宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ」の最後の行にこうあります。
「ソウイウモノニ私ハナリタイ」
私は、この言葉がこの詩の中で一番美しい部分だと思います。今までの言葉は全て自分の理想であって、でもやはりその理想に近付きたい。謙虚に、でも力強く彼はそう願っています。理想に近付こうとする意志、それがやはり大切なのだと思うのです。
何か大きなことをしようとする時に、これらの言葉は非常に支えになります。私の目標は先ほども述べましたが、世界を少しでも良くすることであります。どうやってと聞かれても答えることはできません。私にはお金もないですし、権力もありません。どう考えたって私一人の力では無理なように見える目標です。しかしながら、それを達成しようとする意志さえあれば、そして私が心からその意志の下に行動するのであれば、少しでも私はその目標に近づけるのではないでしょうか。少しでも貢献できるのではないでしょうか。そして、たとえ私が行うその行為が一見なんでもないように見えたとしても、それは確実にその目標への一歩になっているはずなのです。わたしはそう信じています。