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人生の意義-3

2008.03.24 - 思想
誰かのために

それでは、自分の人生の意義が大まかに定まったところで、次は何をして生きていくかです。どのようにして人々に影響を与えていくのか。正直な話、これは何でも良いのです。医者になるなり、サラリーマンになるなり、ミュージシャンになるなり、どのようなことをしていても、人と関わっている、もしくは関わった限り、大なり小なりの影響を他人に与えているからです。影響の与え方というのは様々です。ですから、自分が納得し、自分の人生に意義を見出せるだけの影響を一定の人に与えることができれば、それでその人の人生は十分すぎるほどの意義があったと言えるでしょう。

 しかしながら、やはり影響を与えるのであれば、良い影響を与えた方がいい。世界的なテロリストになって、全世界の恵まれない子供達に暴力による抵抗を教えるよりは、マザー・テレサのように、人に尽くす優しさを広めていきたいとは思わないでしょうか。ここでも人による価値観の違いが現れてくるので、一概にこれが正しい、あれが悪いとは言えません。そのような価値観を排除して単一の正しさを広めていくことは、形の無い暴力でもありますから。しかしながら、おそらく大部分の人が心の奥底でうっすらと理解している善という概念、その概念に則った行いをしていくことの方が、悪いとされている行いをしていくことより良いというのは、皆さんも賛成して頂けると私は願っております。

 

 では、その善いというものに共通して見られる点は何なのでしょうか。それは、「誰かのために」という想いだと私は考えます。他人の為に尽くすこと、これはほぼ無条件に善い行いだと言えないでしょうか。例えば、先ほどのマザー・テレサの例に然り、空き缶をきちんと分別してゴミ箱に入れることまで、その根底には人のためを思う気持ちがあると私は考えます。よく言われる「みんなの迷惑にならないように」というのは最低限の節度でありまして、それは「みんなのために」というように、さらに一歩踏み込むことができます。そして、そこに少なからず共通して見られるのは、他人への思いやりと言えるでしょう。他人を思いやる気持ち、これが善いことではないと否定することはできないのではありませんか。ここで少し反論される方がいるかもしれません。善い行いと思っていても、他人からしてみれば悪い行いと捉えられることもある、と。お節介と言うのがその良い例です。しかしながら、重要なのは、自分自身の心から善いと思うことのできる意志のもとに行動することなのです。その結果として引き起こされる出来事が、他人の目から見ていらぬお世話に見られたとしても、心から善いと思える意志のもとにある行為は、決して悪いとは言えません。ただ、人間というのは多様です。生まれた環境、文化などの違いによって、その価値基準というのは様々です。これは非常に複雑で難しい問題なのですが、また後ほど触れることにします。

 話はずれましたが、「誰かのために」という方向性が持つ善性について、とりあえずのところ納得していただきたいと思います。(何か歯にひっかかるという人は、後に詳しく考えてみますので、次章を先に呼んで頂いてもかまいません。)この考え方は非常に漠然としすぎている気もします。ですが、よく考えてみますと、この世には自分と他人の2種類の人間しかいないのです。その2種類いる人間のうちの一方をより愛するということ、これほど明瞭なことはないのではないでしょうか。私はこの「誰かのために」という信念を自分の中に一つの方向性として位置づけることが最良であるように思うのです。人は「誰かのために」行動するとき、最も充実した気分になれるような気がします。これは私の経験からでしかありませんが、ボランティアなどを行ったことのある人はお分かりいただけるでしょう。人のために動いているとき、私は非常にすがすがしく、満ち足りた気分になるのです。相手が喜ぶ顔を見ると、私も嬉しくなるのです。悲しい顔をしていると、何とかして元気を出してもらいたくなるのです。もちろん、この想いを全ての人が共有しているとは考えてはおりません。しかしながら、大抵の人がそのことに共感していただけることと信じております。そうでなければ、この世の中は悲しすぎます。また、自分のために働き、金を稼ぎ、欲しいものを買うために頑張ることも非常によいことです。それを否定するわけではありません。自分が幸せでない限り、他人を幸せにすることは到底できないでしょうから。ただ、私がいいますのは、自分が幸せになり、少しでも自分自身に余裕ができたのであれば、次は「誰かのために」行動して欲しい。誰かの笑顔を見るために何かをして欲しい。それが我々の人生を、より充実したものにするはずです。では、次に、本章のテーマでありました「誰かのために」という概念が持つ善性について考えてみようと思います。
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1987/02/03
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自己紹介:
世界の平和を目指す一地球人。言うまでもなく甘党です。好物は明治のミルクチョコレート。"simple is the best."ですね。

もともとはコートジボワールでの滞在録でしたが、5月から一日一冊読書することに決めたので、その感想を徒然書いていこうと思います。
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